ちょっとネガティブな入り口からはじまるんだけれど。
今から思えば僕は物心ついた頃には、大人たちに絶望していました。 「大人はまったく頼りにならない」っていう絶望。
言うことはころころ変わって当てにならないし、自分の反応的な感情で動いてて迷惑こうむるし、ちょっと考えればわかることを考えもしないし、なんでこんな頭悪いんだろうっていう目で見てることがよくありました。 小さい頃の僕はかなり繊細で傷つきやすくて怖がりでもあったので、今の僕の近くにこんな子どもがいたら、けっこう緊張するなあって思います。
一方で僕の実家は至って平和で安定していた。 両親が夫婦喧嘩しているのを見たことはないし、物心ついた後に、なんら虐待的な状況は客観的にもなかったし、よくあるところの「あの時お母さんにこんなふうに言われて傷ついた」的な記憶も一切ない。
だから僕はトラウマなんてないと思っていて、自分の持って生まれた特性が、繊細でひねくれたところがあって、うーん、あとなにがどうなってるからこんなに生きづらいのだろうってわからない部分も多かったんですよね。
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でですね、10代終わりから20代半ばまでにけっこう大変な時を過ごした後は、そんなことはあんまり思い出すこともなく30代を過ごしていたわけなのです。
自分のやりたいことを仕事にして、生きがいを感じながらお金も困ることなく生きてきた。
でも一緒に暮らすパートナーとの関係は、いつもなにかがおかしくなっていく。これまで何人かと一つ屋根の下に暮らしたことがあるのですが、毎度どんどん僕の負担が膨らんでいく。
仮に最初は家賃生活費は折半で、って始まってても、必ずパートナーがすご〜く働くのが辛そうになって、そんなに辛いんだったら僕がお金は稼いでくるから心配しないで辞めていいよってことになっていました。
さらにいろんな事情で、場合によっては家事まで僕がほとんどやることになっていく。
なのに感謝されるどころか、文句言われたり罵倒されたりしていました。
今になって理解できるのは、これこそがアーリートラウマの影響で創造される現実なんだけれど、それがわかるのはうんと最近になってから。 実はこういうことが繰り返されていた。けれど繰り返されていることにすら気付いていなかったの。恐ろしいなあ。
当時の僕から見えている世界ではあくまで、「僕がどれだけ相手のためを思って出来る限りのことを差し出しても、それが踏みにじられる」という風にしか見えなかった。
それで別れることになるたびに、どこかで「どれだけ破壊的なことをしてきたか、思い知るがいい!」みたいな怒りをため込んでたわけなのです(ほんとすみません)。
重要なのは、「最も身近に生きる人は、成熟した大人として機能しなくて一つも頼りにならず、僕ががんばるしかない状況になる」っていう体験の再創造。
ここ後で戻ってくるから覚えておいてください。
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それで桂子さんはというと。
最初っから自分でお金稼ぐ気はないし、家事だって僕が切実に必要としている種類のことは苦手で大してできない。
同居してわりとすぐに上のようなパターンが出てきたんですよね。
「この三次元の現実の世界を生きることを、全然一緒に作ってくれていない気がする。僕一人でやっていて、桂子ちゃんはそれをただ天からの恵みを消費するみたいにしてるだけじゃないのか。」
みたいな話をしたら「わたるちゃん(僕をこう呼ぶことがある)、それ前の奥さんの時にもおんなじようなこと言っていたよね。」って指摘が入った。
それで初めて
「そおおおかああああああ!!!たああああしかに!!!!」
って思ったのです。
これは僕の側の現実創造だ。残念ながら。 それ以来、僕はこの現実の再創造のテーマにせっせと取り組んできたのでした。そこはGFLという方法がある強み。
それでじわじわと成果を上げてきてどんどんパートナーシップが良くなってきて、今年に入ってからはとても配慮があって優しい人へと、桂子さんが変容してきた。
彼女側での取り組みももちろんあるんだけれど、僕にとっての現実が変化しているということは、僕の取り組みが不可欠なわけ。
彼女が妊娠してからはさらに過激なペースで突きつけられ続けていて、僕も彼女ももう毎日必死で取り組んできたわけなのです。 毎日自分のことを内観し、彼女が活動できるわずかな時間に語り合ってきた。結構反応的になる時もありながら、どうにか成熟した大人の意識をかき集めて、愛を持って関わり合ってきた。
そして彼女だけでなく、他の人たち、とくに影響のある人たちとの関係性の中でも、たくさんのチャレンジをする必要に迫られたけれど、迷惑かけながら、なんとか自分らしくいることを必死にやってきて、たくさん助けてもらいました。
つい数日前にも、僕一人でだったけれど割とたっぷり時間をとって「調和のイメージワーク」っていうとっておきのワークをやったりしてたのです。
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やっと本題なんだけれど。
そしたらですね、昨日彼女にまず、ほんとうに大きくて決定的な変化が訪れた。 この話もすごくおもしろいからそのうちじっくりシェアしたいのですが、
彼女は「これまでどれだけ子どもの意識で、生きることを避けてきたか、今はっきり見えた。私いま、初めてほんとうに『生きたい』って思えてる!!私、生きたい!!!」って泣いたの。
それが昨日のことで、今日は全然違う人になっていた。 彼女は生きる気力に満ちている大人になっていました。 とても美しくて力強い。体調はボロボロだけれど、命が輝いている。
夕方になってそんな彼女を見ていて僕は、こんな風に思っている自分に気付いてショックを受けました。
「今、ここに、僕のことを深く愛していて、この世界を共に生きるのにこの上なく頼りになる人がいる」
僕にとって、身近に生きるパートナーがこんな風に現れたことはなかった。いや、恋愛初期とかにはあっただろうけれど、関係を築いてきた先でこんな現実が現れたことはありませんでした。
彼女に僕が感じていることを話して、二人で泣きました。
ここまで急ピッチで、何年もかけてやるようなことを数週間でこなしてきて、たぶん大きな山を越えた。
出産まで後1ヶ月くらいに迫っていますが、大丈夫、すばらしい時を迎えられるはず。
うまく表現できた自信はないんだけれど、断片だけでも忘れないうちに書き記したかったのです。
読んでくださってありがとうございました。
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