たしかティク・ナット・ハン師が「次のブッダ はコミュニティの形を取って現れる」というようなことをおっしゃっていたと思うの。
最近それがとても実感されるんですよね。
僕はてっきりパートナーシップのことを熱心に伝えてきていたつもりだったのですが、実際にはコミュニティが出来上がってきている。
お互いがトラウマ反応からではなく、自分の良質な部分から関わり合う社会が、そういう文化圏が、僕の周りにはすでにけっこうつくられていた。
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単に自立した人たちの集合体じゃないのがミソ。
それならなんというか、もうだいぶある。
長らく僕はそういう場所に支えられ、癒されていました。
なんというか、お互いの自由を尊重し合い、決して変に干渉しない距離感のある場所。
これ以上踏み込んでくる人、踏み込んでくるか関わりにはそれまでろくなものはなかったので、このなんというか、ある意味薄味なつながりが僕に取ってはとても心地よかった。
だからティク・ナット・ハン師は、長らくこういうコミュニティのことを言っているのかなと、ぼんやり思っていたのでした。
でも今は、もっと違うその先の可能性がよく見える。
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僕の周りにできてきたのは。
自立した人たちが、真につながり合いながら生きる場所。
干渉してコントロールするのではないのに、大切な人と共に生きるためにお互いが変容していける場所。
真実によって、お互いを鏡として自分を知り、真実によって自分を相手に知ってもらう。
真実の他者に出会った人は、自然に愛から変容する。(この辺もうちょっと詳しく書きたいな)
そうやってつながっていく場所。
こういうふうにお互いを見る眼差し、それを共有しているコミュニティが、なんというか僕にとっては、集団で覚醒していく道なんじゃないかなと思えるのです。
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集団って基本的に、思い込みを強化しあっていくとしか思えていなかったけれど、そうじゃない道がある。
それは個人が真実であろうとすること、そしてそれを明かそうとし続けることで、初めて成り立つ。
こういうことを大切にしている人たちが近所にいて、一緒に生きていきたい。
そういう人たちの輪が既にできてきていた。
だから自覚していた以上に、僕は自分の願いに向かって正しい道の上に乗っていたようだ。
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