昨日妻と話していて久しぶりにしみじみ思ったんだけど、僕はもともとは、精神的にはかなり病理深めの出身なんですよ。
妻はうんと健康で、完全に神経症水準だけれど、僕は人格障害水準、分裂病水準の大波を生き延びてきた。 今でこそそうじゃないけど、若い頃の友達には相当病んでる人がたくさんいた。そういう人たちじゃないと話が合わなかった。
なんというか、その初期の傷付きの深さのようなものについて、ふたりして「この辺はかなり違いがあるよねえ」としみじみ話しました。
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それで興味深かったのがね、この深い傷というか、病理の深さというか、そういうのを抱えつつ、自立していい仕事して社会的にはわりと順風満帆に見える人たちのことを考えていた時のこと。
そういう人は、おもにベースの意識の成熟と、知性の高さでもってその順風満帆を獲得してきたと思う。もっと破綻した人生になる可能性もあっただろうに、そうはならずにがんばってきたはず。
そのベースの意識の成熟や知性の高さによって、心理的なひずみをカバーしてきたとも言える。
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妻に言わせると、そういう人はパートナーシップがうまくいかないということでしか、その課題に気づくチャンスがなくなるかもしれないよねって。
なるほどなあと思いましたよ。
僕自身もそうだったもんね。妻と出会うまでは、けっこう人生順調だと思っていたし、天明に命燃やして今日お迎えが来ても後悔ないなと思っていた。小さい時のトラウマとか、特にないですからって思ってた。そしてそれらは大間違いだった。
妻とこういう風に関係を作ってこなかったら、わからなかったことだらけだ。
今でも妻との間では大変なものが浮き彫りになることがしょっちゅうなんだけれど、ずっと自分が成長していってるのがわかる。それがおもしろいし楽しい。
こうなったのはラッキーだったなあと思うわけです。
しみじみ。
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