検索
  • 二子渉

パートナーシップで気づくこと

更新日:4月27日

昨日妻と話していて久しぶりにしみじみ思ったんだけど、僕はもともとは、精神的にはかなり病理深めの出身なんですよ。

妻はうんと健康で、完全に神経症水準だけれど、僕は人格障害水準、分裂病水準の大波を生き延びてきた。 今でこそそうじゃないけど、若い頃の友達には相当病んでる人がたくさんいた。そういう人たちじゃないと話が合わなかった。

なんというか、その初期の傷付きの深さのようなものについて、ふたりして「この辺はかなり違いがあるよねえ」としみじみ話しました。

***

それで興味深かったのがね、この深い傷というか、病理の深さというか、そういうのを抱えつつ、自立していい仕事して社会的にはわりと順風満帆に見える人たちのことを考えていた時のこと。

そういう人は、おもにベースの意識の成熟と、知性の高さでもってその順風満帆を獲得してきたと思う。もっと破綻した人生になる可能性もあっただろうに、そうはならずにがんばってきたはず。

そのベースの意識の成熟や知性の高さによって、心理的なひずみをカバーしてきたとも言える。

***

妻に言わせると、そういう人はパートナーシップがうまくいかないということでしか、その課題に気づくチャンスがなくなるかもしれないよねって。

なるほどなあと思いましたよ。

僕自身もそうだったもんね。妻と出会うまでは、けっこう人生順調だと思っていたし、天明に命燃やして今日お迎えが来ても後悔ないなと思っていた。小さい時のトラウマとか、特にないですからって思ってた。そしてそれらは大間違いだった。

妻とこういう風に関係を作ってこなかったら、わからなかったことだらけだ。

今でも妻との間では大変なものが浮き彫りになることがしょっちゅうなんだけれど、ずっと自分が成長していってるのがわかる。それがおもしろいし楽しい。

こうなったのはラッキーだったなあと思うわけです。

しみじみ。


20回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

「次のブッダはコミュニティの形をとってあらわれる」

たしかティク・ナット・ハン師が「次のブッダ はコミュニティの形を取って現れる」というようなことをおっしゃっていたと思うの。 最近それがとても実感されるんですよね。 僕はてっきりパートナーシップのことを熱心に伝えてきていたつもりだったのですが、実際にはコミュニティが出来上がってきている。 お互いがトラウマ反応からではなく、自分の良質な部分から関わり合う社会が、そういう文化圏が、僕の周りにはすでにけっ

「合う人と一緒に幸せになるのは今や当たり前。その先へ。」

今日はけっこう嬉しいことがありまして。 ただ暖かいつながりを感じるなら、たぶんここじゃなくてもいくらでもある。 でも、身近に生きていく「この人」と、そういうつながりを創り続けるのがむずかしくておもしろいところ。そしてそこがGFLの真髄部分なわけ。 ヴィジョンに共鳴して集った人とうまくいくのは、もうわかってる。気のおけない仲間とあたたかく繋がれるのは、もうわかってる。自立した人たちの中で、そのままで