人を操るにはどうしたらいいか。
裏返すなら操られることから自衛するにはどうしたらいいか。
どう思いますか?
これってわりとシンプルなことです。
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人が外から「操られる」ときって、思い込みの自分劇場の中にいる時です。
GFLでは、アーリートラウマが刺激されている時と捉えています。
その時僕らは、型にはまった理解と行動に追いやられるから。
発達初期のトラウマ反応は、世界の理解を幼児期並みに浅いものにして、幼児期並みの対応力で行動するように働きます。
その頃そうやって生き延びたから、その時のことは何も責められることはなくて、むしろよくぞちゃんと生き延びたって褒められていいことだと僕は思っているんだけれど。
でも大人になってもその反応パターンは残って不具合を起こす。
例えば乳児期に形成される「自分をいないことにする防衛」のパターンを強く持っている人がいたとして、この人を遠ざけたかったら、大きい声でガミガミいうなり会うたびにチクチクいうなりしたらきっと成功します(やる側もリスクあるから絶対お勧めしないけどね)。
この防衛を強く持っている人は、そういう場面で自分は無力で状況を変化させる力は何もないと「理解」していて、だとしたら「立ち去る」しかないから。
「自分には状況を変える力は何もない」っていう幻想の世界にいたら、嫌な状況になったら立ち去るという行動を、それしかないと思って選択する。そういうパターンを持ってる。
こういうパターンを使ったら人を操ることができる。
このパターンを自覚しない限り、操られてしまうわけ。
パターンは大雑把にも5つあって、細かく見るともっと具体的なヴァリエーションがあります。
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さて、もしこの幻想から目覚めたなら、相手に直接働きかけることも可能で、立ち去るというのは数ある選択肢の一つでしかなくなる。そうなったらこの人はもう、この方法では操られない。
もっと成熟した広い視野から、本当に望んだ方向に向かって行動を選択できるようになってる。
たとえば「そういうことはやめてください」と、はっきり毅然とした態度で言うこともできる。
近しい関係であるほど、パターンに追い込まれる機会は増えていきます。
パートナーはその意味で、最もコントロール(操る)を仕掛けてくることになります。
仕掛けてくるっというか、こっちから見ると仕掛けてくる、だけれど、二人して目覚めあうために、刺激し合うことになる。そこにはわかりにくく精妙で深い愛が働いているけれど。
だからこそ、パートナーとの間で起こる「嫌な状況」をいかに目覚めのきっかけにできるかが重要だと思うんですよね。
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パターンから目覚めることと並行して重要なのが、自分の本来の価値観や願いとつながっていくこと。
何を大切にして生きたいのか、どんな願いを持って生きていたいのか。
それを自分の中に見つけ、深くつながっていくこと。
その願いにつながって、その道を歩くことと、幼少期に作られたパターン(自分劇場)から目覚めて生きることが両立したら。
その時その人は、その人本来のたましいの道をあゆんでいるだろうし、そうなったらもう誰もその人を操ることなどできない。
そして、そんなふうに精神的に自立した人同士が、本当に深い次元で手を取り合って生きていくなら、この世界はそうなったぶん確実に優しく明るい場所になっている。
シンプルなことだけれど、日々の実践で手間暇かけて実現していくことでもあります。
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