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  • 二子渉

保存版:ぐるぐる思い悩むのをどう卒業するか

感情に振り回されてつらい いろんな気持ちでぐるぐるしてしまう 考えすぎて決断ができない 感情的にかかわって、人との関係を悪化させてしまう そう思っていたら、これから書くことが役に立つかもしれません。 自分自身のすべてとつながり、ほんとうの自分の声に従う方法。 **** 僕らのこころの中には常に、矛盾したパーツがあります。 とくに葛藤がある場面というのは、つまりは自分の中に相反する声があるということ。


たとえば母親がいつも父親とのやりとりに傷ついていると訴えている家の子供。

・お母さんがかわいそう。お父さんキライ。 ・でもお父さんもいいところがあって、好きな気持ちもある。 ・でもその気持ちは持ってちゃいけない。 ・お母さんもお父さんの文句ばっかり言ってるのはイヤ。

みたいな感じになりかねない。


たとえば仲間内で食事会があって、ちょっと面倒なメンバーだと感じている場面。

・仲間だし行ったほうがいい ・Bさんも来るのか。苦手なんだよな。行きたくないな ・Cさんには会いたいし、会場も行きたかったお店なんだよな ・こういうことでぐるぐるしちゃうのがイヤ

みたいな感じになりかねない。 ここで、どれが自分の本音、本心なんだろう、って捉えようとすると無理が生じます。

こんなとき、自分らしくあるにはどうしたらいいのでしょう。 ***

いくつかコツがあります。

一つは、ぜーんぶ自分の中にある、と捉えるということ。

あってはいけないものは、何一つない。だってあるんだもん。 まずはひとつひとつ、こういうのがあるね、とただ並べてみる。

全てを、テーブルの上に並べるように並べてみる。



主だったものがすべて並んだら、スッキリするはずです。

モヤモヤが残っていたら、まだ何か出てきていないなにかがある。



それはたいてい、自分で嫌っているもの、禁止しているものだったりします。


こうやって、自分の中の全てのパーツにスペースを与える。


全ての声を聞く、と言われている作業です。

***

ちなみにこれを自覚的にやらないと、どれか一つに同一化しては、別のパーツが主張してきて、


仲間だし行ったほうがいいのはわかってるんだけれど、

でもBさんも来るのか。苦手なんだよな。行きたくないな

でもCさんには会いたいし、会場も行きたかったお店なんだよな

もう、こういうことでぐるぐるしちゃうのがイヤ

でも結論出さなきゃいけないし


っていうふうに、パーツからパーツに渡り歩くことになります。


これが文字通り「ぐるぐるしている状態」


どれか一つに同一化している状態を、ぐるぐる回る。




ここで、どれが自分のほんとうの気持ちなんだろう、って思ったらドツボにはまるのです。


ほんとうの気持ち以外はにせものという前提があったり、持っていちゃいけない気持ちがあるという前提があったり。


そうなっていると、ないことにされそうなパーツが激しく主張してきます。


どれもそこに在るほんとうの気持ち。

***



コツのふたつめは、この全体を眺める視座に立つこと。


どれかがほんとうの気持ちなのではなくて、すべてを含んでいるのがほんとうの(あるがままの)自分。図のオレンジの囲いが、私のこころのあるがまま。


そういう風に、自分の全体性を眺めている視座に立つ。




これが、ありのままの自分を認めるということです。


そしてこの視座が脳内議会の議長席です。


御前会議の王様の席です。


自分のこころの主(あるじ)である者の席。


全体を眺めるこの席に座って、それぞれの主張を「ふむ、そうですか。なるほど。」と聞いて、この席で選択をする。


このときうまくいっていれば、こころは穏やかです。


選択の困難さを感じたとしても、静かな決断になる。


何かすごくざわざわするなら、まだ議場に登場していない声があるはずなので、それを見つけて置いてみる必要があります。


そうやってすべての者にスペースを与え、こころ穏やかになったところで選択する。


そうすると、自分の全体性を大切にした選択ができる、というわけ。


これが自己一致した状態での選択です。



***



ちなみにこの視座は文化(?)によって、観察者、ハイヤーセルフ、俯瞰する人、メタ認知、などとも言われることもあります。


ただ、これでもなかなか激しい主張をやめないパーツがある場合があります。


それはまた今度。

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