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  • 二子渉

傷ついた、を廃止することで得られるもの

GFLの中級講座以降で深く扱う内容ではあるのですが、これ多くの人に知って欲しいなあと思っている話。



一般的に、対人関係で「傷ついた」っていう表現はよくあります。

でもこれ、GFL学んで、人と繋がるすべを身につけてくると、ほとんど使わなくなっていきます。


主に二つの理由によって。



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一つは、こころの傷というのは、大人になってからは新たにつかないから。厳密には大災害とか凶悪犯罪に巻き込まれたとかあればつきますけれど、日常的には新たに傷つかない。

傷ついた気持ちになっている時は、基本、発達初期についた傷が反応しています。


肉体に例えるなら、もとからある切り傷になにかがぶつかって「痛って〜〜!」ってなってる状態であって、まっさらな肌に切り傷がついたのとは違う。肉体と違うのは、単純な代謝で癒えたりはしなくて、何十年も傷口が残ってるわけですけど。



まあとにかく。

元からあった傷が痛むのと、新たに傷がつくのとでは、意味が違う。

そこを正確に認知していくようになると、傷ついた、という言葉はそぐわなくなります。



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もう一つは、どうやって人と人とのつながりが深まるのか、という理解に関係します。


GFLでは人間関係が深まるのは、真実を明かした時、という言い方をします。

ハートが感じている真実の気持ち、痛み、願い、などをど真ん中から明かす時、お互いのこころが開きあって、つながりが深まる。


「傷ついた」っていうのは、その観点から言うと、真実の気持ちとかではなくて、事実をそのまま表しているわけでもなくて、状況の解釈に近いことばです。


傷ついた、という言葉は傷ついた何かと、傷つけた何かがある、という理解を表している。自分が傷ついた側だとしたら、何か傷つけた存在があるという解釈。

りんごが机の上に置かれていたとして、自然にいたむことはあっても、勝手に傷つくことはない。外部との接触がって傷つきます。


こうした、相手からの関わりを想定した、感情と状況の解釈が一体となった言葉は、むしろ断絶を生むリスクが高いわけです。



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裏切られたとか、無視されたとか、そういうことばもそうです。

事実としては「挨拶した時に返事が聞こえなかった」くらいの時に、それを「無視された」と解釈するとしたら、それはたぶんトラウマ的な自動思考です。

関係性を育む上で、そう解釈したほうがいい理由はほとんどない。


もし気になったらニュートラルに尋ねてみてもいい。「挨拶したけれど返事が聞こえなかったんですけれど、私もしかして無視されていますか?」って。



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話を戻しまして。


そんなわけで、「傷ついた」「傷つけられた」と思ったら、それをそのままにするんじゃなくて、「何が起こって」「それをどういう意味と受け取って」「どんな気持ちになったのか」「それは何が大切だからか」とみていく。そうすることで得られることがたくさんあります。


ひとつは、自動思考からハマってしまっていた「自分劇場」から抜け出せます。


さらには、ほんとうはどんな気持ちになったのか、そこを相手に明かすことができたなら、関係性の変容の魔法が働きます。



こうした部分はまさにGFLでトレーニングしていくところなんですが、長くなったのでまた別の機会に。

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