ある場所で、女が男たちに戦争に行くな、召集に応じるな、とキッパリ言えば、戦争は案外あっけなく止まるのではないか、っていう話をしていまして。
僕は、21世紀現在でも現実的には男たちは、女たちに乞われていると思ってるから戦地に赴いていると思うし、実際にそうであることもまだまだ多いんじゃないかと思ってること、
女たちがこれからも幸せだと確信できれば、男がわざわざ命を捨てる理由なんてないだろうこと、を語ったのね。
そしたら、女たちに乞われていると男が思っているのは、「女たちが敵の男に凌辱されるに違いないと女たちが信じていて、その脅威から自分を守ってくれと自分(男)たちに乞うているって意味ですか?」みたいな問いかけがあって。
いやいや、違いますよ、僕が言いたいのは。
ということで結構長々と文章を書いたので、もうちょっとみんなに見てほしくなったのでちょっと加筆して紹介します。
***
女が乞うている(あるいはそう男が認識している)のは、
もっとシンプルに安心した暮らしをめぐることです。
女が男に求めていることの一つは、安心して暮らせる状態を守ってもらう、ということだと僕は思っています。
パートナーシップのことをずっとやってきて、防衛が解けてこころが開いてきた時に多くの女性が「安心が欲しい」、と語るのを聞いてきました。男に対する怒りをさんざんぶちまけてきたような人でも、「私だって安心して生きていたかったんだ」というのを何度も聞いてきました。
安心して暮らしたい、安心して子育てをしたい、というニーズはいたってまっとうだとも思います。
***
そして、安心できないでいる時には多くの女性は防衛的になるし、その場面に出くわした男性のほとんどは大いに動揺する。
女性の、安心な暮らしに対する不安、という痛み。
男性の、そんな暮らしを与えられていない、という痛み。
これらがただ痛みとして回避されることなく感じられて、表現されていたら、ずいぶんと世界は違うはずなのです。
これらの痛みはシンプルに、
安心して暮らしたい、という願い、
そんな暮らしをプレゼントしたい、という願いの裏返し。
でも現代の現実的な社会では、
女性はその痛みに留まることができず、男性をなじるなり見限るなりするし、
男性はその痛みに留まることができず、的外れな行動に走る。
***
そんなこんなで。
何らかの不安をきっかけにいろんな種類の反応的で防衛的な思考回路が働き始めたら、
・相手がこちらの安心をおびやかしてきた。しかも国を挙げて、とか集団で。
・それならこちらも団結してやむなく戦うしか、安全安心な暮らしを守る方法はない。
っていう話に同意する人が多数になってくる。
現代の人間の集合的な意識では残念ながら、この罠にまだまだはまる。
最初に書いたことの繰り返しになるけれど、女たちがこの先も安全に幸せに生きていけると確信できていたら、男たちは命捨ててまで戦う理由なんてなくなる。
少なくとも大多数の男女に関して。
そして戦争に至る集合意識の形成は、個人個人のトラウマ反応によるものなのも明らかに思える。
***
我田引水ですみませんが、だから僕はトラウマ含めたパートナーシップのことたましいかけてやってるんですよ。世界平和のために。地味にここで。
まだその道を歩く人は少ないし、しっかり歩ける人も(僕ら夫婦も含めて)少ない。
けどこの道は間違い無く、世界の平和や、青い惑星の美しさを守ることに繋がってる。
この祈りの道を共に歩いてくれる人をこれからも増やしていきたいなあ。
(ん〜〜、当初啓示(?)を受けた時には半信半疑以下だったけれど、ここまで思えるようになって嬉しい)
Комментарии