生物学的に生殖能力が働き始めるよりも前に、僕らは恋に落ちるようになります。
ちなみに僕は幼稚園の年少の時に、今では顔も名前も思い出せない女の子のことが好きになって、追っかけてた記憶があります。
その後も時代の移り変わりともに、何人も好きな女の子ができました。
そういうもんだと思っているとなんの疑問も生じませんが、改めて考えてみると、行動動物学的にいうなら変です。不合理です。
ちゃんと調べていないけれど、こんなことが起こるのはたぶん人間だけなんじゃないですかね。少なくとも大多数の動物には起こらないことです。
無駄だもんね。
なんでこんなことが起こるのでしょう。
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アナスタシアの8巻「新しい文明」の下巻「愛のならわし」には、これについてとても興味深い物語が載っています。
興味深いっていうか、僕にとっては「ああ、そうでしたよね、いわれてみりゃそりゃそうだわ」と思う記述なんですけど。
アナスタシアが語るある女の子は、僕の初恋?と同じ4歳くらいの子です。
以下ネタバレです。
大昔の物語に登場するその4歳の女の子は、8歳のたくましくて優しい男の子に恋をするのです。
古代べドルシアの文化には、そうした幼子に芽生えた恋心をほんものの贈り物として受け取る文化、その具体的な方法がありました。
まず大人たちが、小さい子が恋したことにちゃんと気づくわけ。
それを決してからかったりせずに、さりげなく暖かく大切に扱う。
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本に描かれた物語の中では、そのリュボミーラちゃんはおばあちゃんにだけそっと打ち明けるのね。
周りの大人たちもおばあちゃんと彼女が二人になれるようにさりげなく計らったりしてね。
そこでおばあちゃんは、「孫娘や、そのとってもすてきな男の子が、いつもおまえだけを見るようになってほしいかい?」と尋ねると、もちろんそうなってほしいと答えるわけです。
それでそこからおばあちゃんは、彼女の中に燃える愛のエネルギーが、彼女自身を成長させるようにと導いていくの。
こういうときに学びと成長のスピードは10倍にもなる、と書かれているんだけれど、ほんとそうですよね。
おばあちゃんが最初の一人だったというだけであって、旅の賢者とかいろんな大人たちが、リュボミーラちゃんの中に愛のエネルギーを感じ取っては、その愛によって彼女が自分を磨けるように手伝っていく。そういう文化があった。
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「ヴェドルシアの家族、この場合リュボミーラの家族は、幼子の気持ちの中に芽生えた愛のエネルギーを、創造主からの贈りものとして受け取った。そしてその気持ちを幼いリュポミーラを育てる際の助っ人、もっと言えば専任の教師として、新しい家族族の平和のように迎え入れた。
祖母が孫娘にいくつかの具体的な行動を指示していたのも、偉大なる愛のエネルギーが何を求めているのかを本人がそれとなく理解できるよう、手助けしていたの。
リュボミーラは、インスピレーションとともに学問や人間が存在する意義を学び、精神と身体を完全なものにしていった。
リュボミーラの成長において、最も重要な役割を果たしたのは誰だと思いますか? 祖母や賢者たち? 彼女自身? あるいは飽くことを知らない大いなる愛のエネルギーかしら?」
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さて、うちの桂子さんは愛のテーマにおいて人並外れて勇敢なんだけれど、でもずっと、自分にとって愛のテーマがとてつもなく大事だということを、大人たちに言えないでいた。
というかそれこそからかわれたりバカにされたりして、すっかり自分のうちに閉じ込め、一人で進んできた人なわけ。
もし彼女がこのべドルシアのような文化の中に生きていたならば、どれほどの成長の機会を得てきただろうと思います。
彼女でさえもそうだし、すべての人にとって、誰かを愛する気持ちが生じた時に、その偉大なる愛のエネルギーを生かす手伝いを社会から得られていたならば、それはなんて素敵な社会だろうと思うわけ。
僕もGFLを通して、こういう文化を築いて分かち合っていきたい!って強く思いましたよ。
そう思いません?
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