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二子渉

怒鳴り合ったマスク事件

昨日の夕方、「明日はマスク洗ってよ」と僕が桂子さんに言ったのが始まりでした。


僕らはほとんど家で過ごしているので、マスクをつける時間はほとんどない。

僕もちょっとコンビニに買い物に行って店内にいる3分だけつけるとか、月に一回くらい飲食店に行って、お店に入ってから席に着くまでと、食べ終わってから会計してお店出るまでで合計3分だけつけるとか、そんな感じなのね。


なので、使い捨ての不織布のマスクを洗濯してまた使ってるのです。僕は。

洗濯して使うならもっといいやつ買えよって話もあるけど、それもめんどくさくてずっとそうしてる。


桂子さんはそのマスクを他の洗濯物と一緒に入れることを、僕には理解できない理由で嫌がる。


我が家ではこの点において、けっこうな溝があるのでした。



***



マスクが溜まってきて予備がなくなってきたので、「明日はマスク洗ってよ。」と言った僕に対して、桂子さんはすっごく嫌そうな顔をしまして。

「それじゃあ今、マスクだけ洗濯したら?他に洗うものとかないの?」と。


僕はそれでしぶしぶ、洗濯物をなんらか見繕ってきて(しばらくきていなかったちょっと羽織るものとかね)、たまったマスクたちと一緒に洗濯機に入れてスイッチを入れました。



でもなんか全然釈然としなかったし、とても悲しい気持ちになってきたので、「なんで?なんでなの? 僕には全然理解できないよ。なにも合理的な理由はないよ。なぜ僕がこんなにひどい扱いを受けなきゃいけないの?」みたいなことを言いました。


桂子さん:「これをひどい扱いって呼ぶのがわたるちゃんの世界じゃないの? 私がマスクを一緒に洗いたくない理由は何度言っても理解されないし、その気持ちが大切にされない感じがとても悲しいよ。」


僕:「わかりたいけど、全然一つも合理的じゃないじゃないか。納得行く理由があるなら、なるほどそうか、って聞くけど、ないんだよ。一緒に洗えばいいだけの話だよ。パンツ洗ってる洗濯物に、僕の顔に触れてたくらいのものを入れても、何の害もないよ!!」


桂子:「そうやって理詰でいうからもう、私は何も言えないじゃない!」


僕:「だから真っ当な理由なんてないんだから、一緒に洗ってよ!」 (このへんはもう二人とも大声で怒鳴り合ってる)


桂子:「今日は二回洗濯して、二回目にだったら言ってくれたら入れられたよ。急ぐなら言ってよ。なんで夕方の忙しい時間にこの話を始めたの?時間が遅くなってきて私は困ってる!」


僕:「言ってよじゃないよ!もともと一緒に洗いたくないから別にしておいて、と、別にしておいたら洗える時に洗っておくから、って桂子ちゃんが言ったんだよ。なのに全然洗ってくれないじゃないか!!!それでなんで、改めて言わなきゃいけないの!?おかしいでしょそれは!!!!」


桂子:「今もう時間がないのでお風呂行きます(桂子さんがお風呂に入って、あーちゃんをそのあと僕が連れていくシステムになってる)」



***



僕にとってはかなり大声で怒鳴り合った感じなんですが、桂子さんにとっては後から聞いたところによると、少し大きい声でお互い言いたいことを言った、ということになるそうです。


まあそれはともかくこんなやりとりがありまして。


それで中断になった時に考えてみたんだけれど、僕としては、桂子さんの意向を最大限尊重して、洗濯物に一緒に入れないようにしてきたし、それは別の時に桂子さんが洗うから、ということで二人で合意したことだったと認識してる。

その合意を一方的に破ったり変えたりされていること、そしてその負担を僕が払わなくてはならなくなっていることに腹が立っていた。


桂子さんは僕から見るとしょっちゅう合意したことを勝手に破棄したり、改変してしまう。いとも簡単に。

でも最初は実際にはちょっとずつの変化だから、「まあいちいち目くじら立てなくてもいいでしょ」と僕は思ってしまう傾向があって、気づくとかなりの負荷がかかってきたりするのです。

そしてそれが僕にとっては、「何でこんな扱いを受けなくてはいけないのか!?」っていう痛みになって溜まっていく。

これはアーリートラウマの「ケアを引き出す防衛」の典型的なパターン。


と、そういうことのようでした。話しながらわかっていったんだけれど。


本来からしたら、桂子さんが合意を破ったならその責任は桂子さんがとるのが筋。つまり、その結果なにか不都合が生じるなら、それで桂子さんが困るのが筋で、僕が負担を引き受けて桂子さんが困らずに済むようにし続けたら、不健全なわけ。

だけれど、まさにアーリートラウマだからなあ。まだまだうまく対処しきれないわたくし。

10分くらいの中断の間に、このようなことがクリアに見えてきました。



***



それで中断ののちあーちゃんをお風呂に連れていった時に桂子さんがいうには。


「私かんがえたんだけれど、そもそも別にとっておいてくれたら私が洗濯する、って安易に言ったのが間違いだった。でもわたるちゃんにとって、マスクを洗濯して使うのが大事なら、それを大事にしたいと思ってのことだった。それはわかっておいて欲しい。」といいました。


僕:「ふうむ。そう伝わってはいたよ。」


桂子:「そう伝わっていたとは?」


僕:「僕に良かれと思って、別で洗うって言ってくれたのだと思っていた。でも実際にはやらなかったから、僕は大切に扱われていないと感じていた。 やってみようとしたけれど、思ったより難しかったってこと?」


桂子:「そう。」


僕:「僕もあの後考えていて、二人でこうだったらいけるねと握り合ったことを、一方的に破棄されて、僕に負担がかかっているのが嫌だということだったみたい。このパターン、この前もあったじゃない。お昼ご飯の時間のことで。 まあでもとにかく、それならはなしはわかる。」


桂子:「はなしはわかるって?」


僕:「桂子さんは良かれと思ってやろうとしてくれた。けど、やってみたら思ったより難しかった。なので別の方法を相談したいってことだよね?」


桂子:「そう。できない約束をしたことについてはあやまる。そこはごめんね。」


僕:「ありがとう。そう言ってくれたなら全然違うよ。責任を取ってくれていると感じる。そしてやってみて難しかったというのなら、わかった別の方法を考えよう、ってなるよ。」


桂子:「ありがとう。わたるちゃんには、でも、洗濯してボロボロになったマスクじゃ無くて、洗濯するにしてももっとかっこいいマスクをつけていて欲しいとは思うんだよ。」


みたいなやりとりをしたのでした。



***



こういう話をしていて毎回思うのは、たとえばマスクを一緒に洗濯したくないっていう桂子さんの思考を、僕が合理性で押し切ろうとしても、関係性という観点からは全然いいことがないっていうこと。


この不合理さには気持ち悪さを僕は抱えちゃうけれど、この件に関してはマスクが洗濯されるなら実害は小さい。


それよりも見るべきなのは、お互いの心理構造の方だと僕は思う。

心理構造とはつまり、この僕の場合は、合意事項が変えられたことでの負担が僕に降りかかるのをよしとしちゃう不健全な傾向とかのことね。


こういうところをパートナーが的確に浮上させてくれるわけ。ほんとピンポイントで。深く関わるパートナーとの間では、基本こういう葛藤状況が作られる。それが嫌なら距離を置いて関わるか、悟りを開くしかない。


でもこういう葛藤状況は、自分の側の歪みを見せられているだけだし、そこに取り組んだら必ずもう一歩自由になれる。


今回の件で、途中で桂子さんが「夕方の時間のない時に話されて困っている」っていうのを、僕と同じトラウマのパターンを持つ人は「負担になっていて、この後疲れて、調子が悪化するかもしれない)」って解釈して、それをすごく恐れたりもするんだけれど、ちゃんと大丈夫だった。


こうやって現実創造のパターンが書き換えられていくわけなのです。

そして関係性もより良いものになっていく。


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