以前、男性同士は通常つながりをつくるに際して、お互いの間で感じている感情をことばで表現する必要はないということを書きました。
では男性同士は感情を言葉で表現せずに、何でつながりを作るのっていう質問をいただきまして、これ重要なポイントなので少しずつ言語化したいと思います。
というのも、この繋がり方の違いがあまりにも大きく、かつ本人にとってあまりにも当然なので、パートナーとの間ですごく混乱することが多いのです(我が家もいまだにそうです)。
まず前提として、人がエネルギーを得られるような「つながり」の感覚には、少なくとも二種類のかなり別のものがあるということ。
そしてそれが、大枠では男性性によるものと女性性によるものと言えそうだということ(生物学的男女と必ずしも一致しないけど)をいう必要があります。
その一つを便宜的にここでは、「男性性に基づく繋がり方」と言ってみることにします。
では本題。
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男性性に基づく繋がり方では、平常運転できている時には、お互いへの感情を表現し合うことはおまけ程度の意味しかありません。
ジャンプとかの少年漫画の世界って、まさにそうじゃないですか。
たとえば主人公側の仲間同士がお互いへの感情を表現し合ってるとかって、まずないでしょ。
ケンシロウがトキに対して、直接ながながと尊敬を語ったりしない。
でもすごい尊敬していることや、それが深い繋がりになっていることは描かれる。
そういうワールド。
男性性が発揮される時というのは、何かを成し遂げようとしている時。
上で触れた少年漫画の世界とか、現代社会なら会社組織で皆で利益を上げようとしてたり、イベントのプロジェクトを成功させようとしていたり。
幕末なら社会の秩序を命かけて守ろうとしてる新撰組とか、大昔ならマンモスの狩りをするとかですね。
現実世界で行動を通して、実際に、何らかの成果を生み出す。すなわち「愛を物質化する」。
そういうときです。
愛の物質化というのは、肉体を持って地球上に生きるために欠くことのできない要素です。
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愛を物質化するには、行動することが必要です。
もし「男性性が健全に機能しているなら」、その行動は愛に基づき、愛を物質化し、その愛が大切な人々の物理的な身体を守ったり養うことになります。家族とかのね。
(現実的にはその純度はいろいろありますけど)
そういう原理で動いているときには、「その行動が本気かどうか」「どのくらい本気か」が愛の純度または大きさと直結しています。
その本気度が、仲間の中で「行動を通して見え合っている時」、そこには深いつながりの感覚が生まれます。
「あいつマジだな、すげ〜な。俺も負けてらんないぞ。」という敬意が繋がりを作ってる。
その時、お互いのお互いに対する細かな気持ちは全然気にされていない。
ライバルが味方に変わる時とかもそうですよね。
何か衝突があって、お互いの本気度が伝わりあって、「おまえ、やるな!」「おまえもな!」って言い合って深くつながりができる。
男の子たちは遊びの時から、こういうふうに自分の中の男性性を育てよう、成長しよう、と生きてるわけ。いつか大切な人のために、愛を物質化できるようになるために。
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少し話がそれましたけれど、そんなわけで、男性性に基づいてつながりが築かれるときには、感情よりは、行動がモノを言う、ということなのです。
じゃあ感情は意味がないのかと言うと、もちろんそんなことはないんだけれど、女性性に基づいてつながりが築かれる時とは意味が全然違います。
それは続編で。
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