女性性に基づくつながりが築かれる時には、お互いの気持ちが交換されていくのが重要で、その原理が健全に働いていたならば、それぞれの存在の真実の姿で響きあうことができます。
それぞれの行動じゃなくて、存在、ね。
で、男性性に基づくつながりは全然違うんです、というお話。その1はこちら。
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男性性にとって感情は、前回話した愛の物質化をめぐる痛みと喜びがほとんどじゃないかなと僕は思っていまして。
愛の物質化がうまくできたり、できる自分がバージョンアップされた時には、「よっっっしゃ〜〜〜〜!!」という気持ちになりますし、
愛の物質化がうまくできない、つまり力のなさを感じたり、何かしくじったりした時には、「くっっそーーー!」または「しゅ〜〜ん」という気持ちになります。
なんというか、通常感じてる気持ちはこの三種類くらいなもんです。少年漫画でもそうでしょ。>男性性強い皆さん、そう思いません?
そしてこの世界に馴染みの薄い人にがよく衝撃を受けるのが、
「こうした気持ちを誰かに聞いてもらう必要はない」
ということ。
勝手によっしゃー!って思ったり、くっそーー!って思ったり、しゅ〜〜んって思ったりして、それで次の愛の物質化に進んでいく。
よっしゃー!はその方向で合ってるぞのサイン、くっそー!は(しゅ〜んも大体は)なにかが間違ってるぞ、やり方変える必要があるぞのサイン。自分にとっての。
それでね、余談ですが、
何かうまくできなかった時に、女性性の繋がりがデフォルトの人が、たとえば「それは辛かったね」ということばで共感したりしますが、全然響いてなさそうな場面を見たことあるんじゃないでしょうか。
これだと下手したら多くの場合むしろ辛さを増しかねません。
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こういうときに繋がりからエネルギーを得られるとしたら。
前回書いたような、「こいつ本気だな」と認め合って敬意を払っているつながりから。
「あの逆境の中、よくやってるな〜。あいつ根性あるな〜〜。」
「誰だってしくじることはあるよ。お前が本気なのは知ってるから、今回は俺がカバーしておくよ。仲間なんだからさ。」
みたいなつながりです。
たぶんことばで言わないけど、それが伝わりあってたら支えられる。
もしあなたが彼を支えたかったとしたら、「つらかったね」とかいうことばをかけるくらいだったら、こういうことばにするか、「そんなきついのにがんばってるんだね」という承認とかだと有効に働くはずです。
もし彼があなたのパートナーなら、「そんなに大変なのに私のためにがんばってくれてありがとう」と言ったら、まず間違いなく嬉しいです(わざわざ嬉しいって言わない可能性高いですけど)。
そんなわけで、男性性にとっての感情は、自分の愛の物質化がうまくいってるのか、見直しを必要としているのかを知るサインになってるわけです。
怒りとか悲しみとかは、なにかやり方を変える必要があるサインだと、自動的に捉えられています。
このモードだと、もし仲間が怒ったり悲しんだりするのを聞いたら、それは「(わざわざ俺に聞こえるように言うってことは、もっとうまくやるための助けをよほど必要としているんだな)」という理解のもと、
「(俺もお前の愛がもっと最高な形で物質化されてほしいわあ、そのためには)もっとここをこうしたらいいんじゃないだろうか。」っていう話になります。
女性性強い人が気持ちを聞いて欲しくて話し始めたら、改善策とかアドバイスが返ってきて、「そんな話はいらないんですけど!」ってなる話はよくあります。
そういう時はこのすれ違いが起こってるパターンです。
次回は男性性に基づく繋がりを維持している、マイナスポイント相殺性の話。気持ちを語る代わりに何をしているのか。
つづく。
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