関係修復の謝罪の健全さ/不健全さ
こじれた関係を修復するにあたって、最重要の要素について書いてみます。
それは自分も相手も大事にできる謝罪のしかた。
これが上手にできないために、他でどれだけよくやっていてもうまく修復できない人もいるくらいで、そのくらい重要だと僕としては思っています。
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今日言いたいことのポイントは、「自分も」「相手も」大事にできる謝罪とはどういうものかっていうこと。
逆にいうと、そうじゃない時どうなっているのか、っていうことでもあります。
日本の文化では、公に謝罪会見みたいなことをする時は、「ぜーーんぶ私が悪うございました。一切の言い訳はしません。どんな非難も甘んじて受け入れます。」みたいにしないと機能しないところがあります。
あれは自分を大切にはしていない謝罪であって、あんな謝罪を必要とするのは、僕としては母性社会日本の病んでいる部分だと僕は思っています。
とはいえ現状、公の謝罪会見はああするしかないんだけど。
さて、個人間の関係修復の謝罪では、話は全く違います。
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個人間の関係修復を目指す謝罪では、双方にしこりがのこらないようにする必要があります。
謝罪の時に、自分も、相手も、大事にされている必要がある。
具体的には、2つセットです。
・自分の落ち度、自分の責任の範囲、などについて明確にして、そのことについてはピンポイントでこころから謝る。ここはこころから誠実に謝る。
・一方、自分の責任ではないこと、自分の落ち度ではないことについては、「それについては、私は謝れません」ということを握っておく。(必ずしもいうかどうかは別)
っていうこと。
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例えば何か相手の振る舞いがきっかけで、すごく反応的になって、めちゃくちゃ攻撃的な言い方で相手を責めてしまった、みたいなことがあった時。
すごく反応的になって、めちゃくちゃ攻撃的な言い方をしてしまったこと。
過剰に攻撃的になってしまったこと。
ここはこちらが謝るポイントです。
そしてそこだけしっかり謝ることができたなら、最初っからの全てにおいて自分が悪かったということにはならない。
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たとえばきっかけとなった相手の振る舞いは、実際にこちらが迷惑を被ったり、関係性に害をもたらすものであったかもしれない。
自分が謝るところをピンポイントで謝れることによって、自分も迷惑を被ったということが、別の話として自分の中で切り分けられるようになる。
自分の側の痛みが、それで、別のこととして在ることにできる。
場合によっては、こちらが謝った後で、このことについて話題にして、謝ってもらうこともできる。
言ってること通じているといいんですけれど。
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こうした修復的な謝罪がうまくできない人に多いのは、小さい時にこんなふうに学習したパーツを強く持っているケース。
それは、「謝ったらぜーんぶ自分だけが悪かったと認めなきゃいけない。」っていう学習。
子ども時代に、そのような謝罪を求められてきたり、一つでも失点があったら全てが終わる、みたいな恐怖を感じてきたり、買った親が全部を好きなようにしてしまう、みたいなことに傷ついてきていると、こういう思考回路が育ってしまいます。
そうすると落ち度を一つでも認めたら、全部終わる、みたいに怯えて、何も謝れなくなってしまいます。
この恐怖が深いと、簡単に手放せなかったりします。
その場合、自分の中に怯えているその子を安心させてあげることが、この思考回路を緩める上で役に立ちます。
が、それはまた深い話になるので今日は深入りしません。
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話を元に戻して。
自分も相手も大切にできる、関係修復的な謝罪のポイントは。
謝ったからといって、ぜーんぶ自分が悪いということにしない謝罪。
ポイントを正確に切り分けているからこそ、しっかり全力で謝れる謝罪。
これができると、相手も自分も大切にした謝りかたが可能になります。
あなたが謝った時、あるいは謝られた時のことを思い出してみて、どんなふうに感じましたか。




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