検索
  • 二子渉

3回目の外食にして、失われていたものに気づいた話

ちょっとちょっと、聞いてください。でもうまく書けるかな。伝わるといいんだけれど。


今日は桂子さんとあーちゃんと揃っての、やっと3回目の外食。

どうしても必要な用事はもうちょっとあるけれど、それを除くと生後9ヶ月になろうとしている今でも、まだほんとに何度か目の外出なんですよ。


お昼ご飯を近所のお店で食べたあと、近所に今年できたジェラテリア、二十三十二(ふとみとに)に行きました。

桂子さんは体調と授乳の都合で、ほんの一口味見しただけ。

そうなんだけれど、ここのお店がとても素敵なところで、「ほんとうに外出した〜!」っていう体験になったようで、すごく喜んでいました。少なくともその瞬間は元気にうれしそうにしていた。去年の春につわりが始まってからは、夏の一時期を除いて1年半、ずーっと彼女は体調悪くて辛そうに過ごしてきたのです。


それが今日のあの瞬間は、とても元気で楽しそうだった。


その様子を見て僕もこころから嬉しくなって、ほんとうに久しぶりに満ち足りて、泣きたいくらいの気持ちになりました。



そしてそうなってやっとわかったことがあります。

桂子さんがこんなふうに元気にうれしそうにしている姿を、1年半にわたってほとんど見ることができずにいたことが、それ自体、僕にとって巨大な喪失だったのだということ。僕のアーリートラウマのパターンは、失ってから大切なものに気づく、みたいなことはほとんどなくて、得られてから大切なものが実はなかったのだということに気づくってことがよくあります。今回もそう。


これは男性という生き物にとっては、たとえば自分の体調不良なんかよりもはるかに過酷な状況だったのだなと思ったのでした。

GFLでは男女の喜びのエネルギー循環と呼んでいる分野の話ですが、単純化して男女のカップルにおいては、男性は常に女性の喜ぶ姿を見るために(たいていは的外れに)全力を尽くしている。

本来的な性質としてそうせずにはいられない。

自分の貢献で彼女が喜んでいる姿をみるとき、それだけでたっぷりエネルギーがチャージされる。


それがずっとほとんどなかった。

彼女がすごく辛い中がんばって生きているのを、僕もずっと胸を痛めながら見て生きてきた。


彼女はそのことは知っているし気にしてくれているので、けっこう伝えてくれていたんですけれどね。でも今日みたいな姿を見られるのはほんとうに大きいことだなあって改めて実感したのでした。


家に帰って、彼女がひと寝してからこのことを語り合って、彼女も僕がそんなふうに感じてくれていたんだ、って喜んでくれて。

こうやってまた一つ、かけがえのなさが深まりました。



***



8月後半から色々状況が変化してきました。 ついに、GFL半年講座の第5期の募集も始まっています。 どんなときにもつながりを深めていける最強のパートナーシップにぜひ触れにきてください。




閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「(経済的に)自立していないと自分の意見を言えないじゃないですか」っていうようなセリフをよく聞くわけです。パートナーシップの相談に乗っていると。 あるいは、「結婚して例えば子どもを迎える時に自分が仕事を休むか辞めるかすると、対等じゃなくなるじゃないですか、そしたら自由がなくなりますよね」とか。「だから私は結婚はしたくないんです。」 あるいはパートナーとの関係じゃなくて、親から経済的に援助されている

先日、僕は「願う」「望む」「欲しがる」といった創造の第一歩を、どんだけサボってきたのか、ってことを書いたんですが、これ、うっかりサボってたのかと思いきや違った。 明らかに乳児期のトラウマの影響でした。教科書的な例だ。しまった。 0歳の頃に、自分は求めても与えられない、というのを大きな痛みとともに神経細胞レベルで強烈に学習してしまった人は、「自分は最小限で間に合わせることにおいては自信があります」「

昨日の夕方、「明日はマスク洗ってよ」と僕が桂子さんに言ったのが始まりでした。 僕らはほとんど家で過ごしているので、マスクをつける時間はほとんどない。 僕もちょっとコンビニに買い物に行って店内にいる3分だけつけるとか、月に一回くらい飲食店に行って、お店に入ってから席に着くまでと、食べ終わってから会計してお店出るまでで合計3分だけつけるとか、そんな感じなのね。 なので、使い捨ての不織布のマスクを洗濯し