魂の闇夜の時代の話2
- 二子渉
- 2 日前
- 読了時間: 2分
(その1はこちら)
当時体験していたことを、のちに僕は「魂の闇夜」と呼ぶようになりました。
それは図書館でたまたま出会った本に描かれていた、「十字架の聖ヨハネ」というキリスト教の修道士が語る「魂の闇夜」という概念との出会いがきっかけでした。
数百年前に、僕が体験していたことと、おそらく全く同じことが文字になって残されている。
そしてその解説はとても納得感があったのです。
僕が知ったところによると、「魂の闇夜(dark night of the soul)」とは、
スピリチュアルな探究の中で直面する人がいる、
「光の消えたような、神の不在の感覚」を指します。
聖ヨハネの属していたキリスト教の修道会では、大いなる働きは「神」ともちろん呼ばれていますが、Chat GPTが彼の著作を元にまとめてきたのはこんな感じ。
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第一の闇夜:感覚の闇夜
祈りや修練を通じて喜びを得ていた段階を過ぎ、突然それらが空虚に感じられるようになる。
神が近くにいる感覚も慰めも失われ、祈りや善行が味気なく、無意味にすら感じられる。
これは退歩ではなく、より深い信仰への招きであり、依存していた「感覚的な慰め」を超えて、神そのものへ向かう準備の段階。
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第二の闇夜:霊の闇夜
さらに進むと、感覚だけでなく精神的な・スピリチュアルな力も働かない状態になる。
理解力・意志力・想像力のすべてが暗闇に閉ざされ、神の存在すら疑わしくなる。
これは神との一致の直前に訪れる「徹底的な空虚」であり、自己のあらゆる執着や依存がそぎ落とされる機会。
***
その後、ついに神に完全に明け渡す状態に至る。
十字架の聖ヨハネにとって「闇夜」は、単なる苦しみや試練ではなく、「神の光が強すぎて未熟な魂には暗闇にしか感じられない」状態といわれます。これは絶望ではなく「神との合一に至る道」であると強調されているようです。
***ChatGPT引用ここまで***
そうそう、僕もこんなようなことを当時図書館で出会った本で読んだ。
そしてそうそう、そういう体験だったよと思ったのでした。
でも読んだ時期が、魂の闇夜の真っ只中だったか、明けてからだったかは、ちょっと覚えていないんですよね。
今あの本を読んだらどんな感想を持つんだろう。
しかも図書館でも見つけられなくなってしまった本。
その3では、闇が明けた時の体験について書こうと思います。
つづく
