この人とはもう無理だなと思うのはいつか その2
- 二子渉
- 9月5日
- 読了時間: 3分
GFL以前と、GFL以後の関係の築き方、とくに「この人とはもう無理だな」と判断するタイミングみたいなことを巡って。その2です。
前回は、GFL以前、そして典型的には結婚2.0の関係性の築き方ベースではこうなる、という話をしました。
今回は、GFL以後の関係性の築き方。
大切な人との間で困難が生じた時の対処の仕方。
夫婦・カップルをはじめ、「解消しちゃうと望みから遠ざかる関係」共通のやつです。
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GFL以前の関係性の築き方だと、どこかに相手次第という要素が残りますが、GFLを学んでいくと、まあ相手は関係ない。相手には自由意志もあるけれど、本体は愛の塊みたいなものだ、という人間観なのです。
GFLを学んでいくと、関係性でなにかしら困難が生じていたら。
平たくいうと、その関係性で嫌な思いをしていたら。
それは、自分を思い込みや反応パターンから解放するための出来事であり、場合によっては感情未満のレベルで反応しているパターンも含めて解消すると、その問題はなくなる。
そう捉えます。例外なく。
別の言い方をするなら、本来持っている自分の神なる創造力が、今制限されている部分があって、嫌な現実を作ってしまっている。だから、これをきっかけに本来の神なる創造力をとりもどそうということ。
僕の先生は世界のスーパー大金持ちで、「人間は望んだことならなんでも叶える力を持っています」と常々断言していて、当時僕はなかなかそのままの意味で受け取ることができないでいたんですけれど、じわじわ確実に、それが真理なのだと思えるようになってきた。
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身近な大切な人が嫌な人として現れているなら、それは僕が、成熟した愛ある存在として相手が顕れるのを邪魔している。それだけのこと。
相手は僕に本物の愛だけを注げる力を持っている、それを僕が邪魔している。
それだけ。
なので、僕自身がこの現実を生み出している根本をワークすることができたら、相手は本来の姿として現れるし、それは成熟した愛情深い存在のはずなの。
それを知って取り組むのがGFLであり、結婚3.0なのです。
なので、「関係性の葛藤を解消する」とか「合わない人と気持ちよく共存する」とか「合わなさを抱えながらも創造的な目的でつながる」とかが目的ではないのです。
自分の中に眠る神性を、一歩一歩取り戻していくのが目的なのです。
ここが根本的に違うところ。
だからおもしろい。
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しかもこれは、その特定の相手だけの話じゃない。
僕の現実創造の力は、うっすら強力に、広範囲の人間関係で同じ限界を作っている。
それは自分の人生の限界を作っているということ。
僕が抱えているこの現実創造のバグを、距離がうんと近くても浮上させない性質を持つ一部の「気の合う人」「わかり合える人」はいる。いるけれど、彼らの方が例外。
この、すごく気づきにくい人生の限界をみつけて、突破していくための方法がGFLであり、結婚3.0というわけなの。
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話を戻しまして。
その関係性で嫌な思いをしていたら。
またちょっと別の言い方になりますが、かならず発達の初期に絶望した体験が関係しています。
発達の初期、つまり6歳くらいまでの人間として未完成な時期に、完成しているはずの親との非対称な関係の中で、絶望を体験する。
非対称だったために、自分にはどうにもできなかったことがあり、そこに絶望がある。
この無力さと絶望が、大人になってからの関係性で再現されている。
GFLでは便宜的に「親子関係の再創造」と呼んてるんですけれどね。
まあまず100%そう。
ここが見えるようになると、世の中の対人関係の問題は全てこれだと言っても過言がないくらいはっきり見えてくる。


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