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  • 二子渉

気持ちを聞かれるのがうざくてしょうがなかった僕がどうやって変わってきたか

僕は長らく、人から踏み込まれて関わられるのはものすごく嫌いでした。 今でも踏み込まれて関わられるのはあまり好きではないし、親しくない人がそういう関わりをしてきたら、多分とても冷たくあしらっていると思います(すみません)。

僕のパートナーはまさに踏み込んで関わってくる人で、当初それがすごくうざくて嫌だった(すまぬ 笑)。 いちいち僕の気持ちを聞いてくるし、もう、めんどくさーいって思っていましたよ。

でもやがて自分の気持ちを全て話す関係になっていったし、今では何があってもそこはやり続けよう、と握り合っています。

どうしてここまでこれたのか。 ちょっと書いてみます。


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僕は、感情をわきに置いて目的を達成できる「合理的」なタイプ。 こういう人は、現実界で何かを形にするということに長けてます。仕事とかでも成果を必ず出す。 現実的な目的を達成する道について、すすまないことの言い訳をするのも恥に感じる。

その裏返しの要素として、感情を置き去りにしすぎる傾向があるわけです。本人はいたって普通だと思っているのだけれども、目的をわきに置いて感情を大切にする「情緒的」なタイプと比較すると、ものすごく大きな差がある。


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しかも、物事を深く深く探求しようとするタイプなので、真面目な場面では磨き上げたものしか人に差し出さない。その時の気持ちの揺らぎをいちいち表現しないし、その奥にある不変のものだけを表現しようとする。

ものすごい集中力で労力かけて作り上げた、繊細で精巧なガラス細工みたいなものとして、自分を差し出す。

そしてそうじゃない人たちは、悪気なくそれを簡単に否定したり無視したりする。 そのガラス細工がそんなものだとは知らずに、気軽に手にとって落っことしたり、踏みつけちゃったりして、粉々に壊しちゃう。

そういう体験をするたびに人と関わることに絶望していくわけ。 このタイプは順調でも小学校に上がる頃には、ほんとうの気持ちを明かしながら人と関わることはまずできなくなってる。もっと早い場合も少なくないと思われます。

その、自分が大切に磨き上げたガラス細工を大切に扱ってくれる安心感が築けた人にだけ、こころを開く。それも、その人が受け取れそうな分野に限って。

だから全部は話さないし、特に相手に対する気持ちは話さない。反応されてガラス細工をめちゃくちゃにされるリスクが大きすぎると感じてしまうわけです。


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それでですね、僕のパートナーは、僕にいちいち踏み込んで尋ねてきたのね。 こういうことをやりたいけれどいい?と僕に同意を取ることなどせずに。

重要だからもう一度言うけれど、こういうことをやりたいけれどどう?みたいに僕から同意や了承など得ようととしなかった。

よくこういう合意をまず作ろうとする人がいるけれど、それはまずほとんどうまくいかない。


彼女はそうする代わりに勝手にせっせと自分の真実を明かしていった。 そして僕の本当のところを尋ねていった。

つまり僕の合意を待たずに実践を開始したわけ。


踏み込まれた時に僕に最初に起こる感覚は、よくよく観察するなら怖さゆえの拒否感です。精巧なガラス細工を差し出しても、どうせ踏んづけたりするでしょ、っていう。

そうなんだけれども、彼女は食い下がって聞くんですよね。徹底的に。「曖昧さを残さずにわかるまで」


幸い僕は自分の内面に関しては、とても精密に言語化できるだけの人生を歩んできてた。

それをこわごわと言ってみていたのです。 (迫力に押されてというのもあったかもしれない 笑)


そうしたらね、彼女は必ず、僕が言ったことを大切に扱ってくれたんですよね。


ごく稀にお互いの傷がかみ合ってひどいことになったりもしていたけれど、その例外を除いては、必ず最大限の敬意と尊重を持って受け取ってくれたのでした。


それは僕にとって、それ以前の人生では決して体験したことのない種類の深い愛情だった。 そしてそれは、それ以前には体験したことのないレベルでの、深く受け入れられている感覚だったのです。


こんな世界があるなんて、とほんとうに目がさめたというか、希望が持てたというか。


ほんとうに新しい世界にいざなってもらったし、生きる幅がものすごく広がりました。


僕のようなタイプのパートナーを持っていて手を焼いている(笑)なら、参考になるといいなと思います。



#GFL Generating a Field of Love #真実の対話




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