検索
  • 二子渉

放牧の部屋または沈黙で繋がる時間

この歳になって(?)あらためて人が「ただいてくれる」ということの偉大さを思い知っていますよ。



パートナーシップのオンラインサロンで「沈黙で繋がる時間」っていうのを試験的に開催しました。

これがね〜、そのあとのシェアタイムも含めて、そうとうに興味深い時間になりました。


最近では9月のリトリートの森の中で、そして古くは3年くらい前の二子家が公園でやっていた「放牧タイム」。


リトリートの時には、「一人で森に行くのは少し怖かったりするけれど、人がいて、でも放っておいてくれるという設定が、すごく安心感があって自由だった」みたいな感想が聞かれました。



これをオンラインでそれぞれの部屋でやったらどうなるのかという実験でもありました。

とくにある程度GFLの心得のある人たちです。ニュートラルな意識、ニュートラルな神経系の状態でいることをこころがけているひとたち。


***



やってみた結果、すごいよかった。



疲れていたのですがエネルギーがチャージされました、という声がまず聞かれました。

これはわりとそうなるんじゃないかなと予測していたことだったのですが、でもそれだけじゃなかった。


やりたいことを集中してやれた。課題だったり転職活動だったり家事だったり音楽鑑賞だったり。

これ全員が言ってたのがとても印象的でした。


僕もだまって音楽聴いていたのですが、不思議と一人で聴いているときとは違った種類のリラックスした感じになっていましたね。


GFLでは重にパートナーとの関係においてだけれど、つながりを持つことと自由であることの、両立・共存に徹底的にこだわっているのです。今日のこの感じは大きなヒントというか、いろいろ示唆的なものがあるなあと改めて感じました。



非防衛的な人が、ただ存在してくれている。


そのことを、時々チラッと目で見たりして確認してるだけのつながり。


それがこんなにもパワフルだとは。


大勢の人がいる満員電車やパチンコ屋じゃ同じ現象は起こらない。けど、そのカケラはあるのかもしれない。自由で繋がれる在り方はやっぱりかなり決定的に重要なんだろうな。


まあとにかく、いや〜、おもしろかった〜〜〜。

おもわずサロンでは誰でも声をあげていつでもできる体制にしちゃいましたよ。


(写真は本日のうちの窓。この景色見ながらコーヒー飲んでられるのとか、とても幸せだった〜)


#GFL Generating a Field of Love #放牧タイム




1回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

「次のブッダはコミュニティの形をとってあらわれる」

たしかティク・ナット・ハン師が「次のブッダ はコミュニティの形を取って現れる」というようなことをおっしゃっていたと思うの。 最近それがとても実感されるんですよね。 僕はてっきりパートナーシップのことを熱心に伝えてきていたつもりだったのですが、実際にはコミュニティが出来上がってきている。 お互いがトラウマ反応からではなく、自分の良質な部分から関わり合う社会が、そういう文化圏が、僕の周りにはすでにけっ

「合う人と一緒に幸せになるのは今や当たり前。その先へ。」

今日はけっこう嬉しいことがありまして。 ただ暖かいつながりを感じるなら、たぶんここじゃなくてもいくらでもある。 でも、身近に生きていく「この人」と、そういうつながりを創り続けるのがむずかしくておもしろいところ。そしてそこがGFLの真髄部分なわけ。 ヴィジョンに共鳴して集った人とうまくいくのは、もうわかってる。気のおけない仲間とあたたかく繋がれるのは、もうわかってる。自立した人たちの中で、そのままで