子どもの愛は無条件
- 二子渉
- 6月5日
- 読了時間: 2分
更新日:6月11日
土、日、月と森の中の宿泊施設で子育てとアーリートラウマをテーマとした合宿ワークショップ、「おやこのあいだ 〜心の森の奥深くへ〜」をやっていました。
その話はまた別に書けたらと思っていて、今日は僕自身の親子関係についての別の話。
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娘のあーちゃんは現在約3歳半。
3泊4日家を空けて、最後の日は彼女が床に着く30分くらい前になんとか帰宅したのです。
シャイではにかみ屋さんのあーちゃんですが、大変控えめに、でも僕の帰宅というか、僕との再会というかをすご〜〜く喜んでいるのが伝わってきます。
普段は抱っことかそんなに必要じゃない子なのですが、この時はわざわざ部屋の向こうとこっちから駆け寄って、ぎゅーってする遊びを何度もしました。
それで「パパ、あーちゃんに早く会いたかったよ」って僕が言うの。
そしたらまた部屋のあっちとこっちに離れて、もう一回駆け寄ってぎゅーっとする。
ことばは大変上手に操る彼女ですが、このときは大して何も言わない。
けれどとても喜んでいるのがはっきり伝わってくる。
こういうときの彼女の愛の純度の高さといったら。
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時々言ったり書いたりしていることではありますが、子どもの、親に対する愛というのはほんとうに無条件だなあと感じます。
僕が父親だからかもしれないけれど、親の愛のなんと条件付きなことか、と痛感する。
僕は愛の純度みたいなことについて、めちゃくちゃ感度高く正確に感じ取るところがあり、それもあってこの人生の中で、できるだけ純度高く人に愛を届けたいとは願ってるんですよ、僕なりに。
そうなんだけれど、あーちゃんが僕にむけてくれる愛の純度には遠く及ばない。
こんなふうに高純度で高振動の愛を、かわらず持ち続けている彼女に、なんといったらいいのだろう、心底尊敬を感じるし、いい意味で刺激を受けます。いい意味で、僕はまだまだだなって思わされる。
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そんな愛をこんなにたっぷり受け取るのも、僕にとっては初めて過ぎて、感動や充足感だけでなく、戸惑いや衝撃もいっぱい感じる。
こんな現実を生きているうちに体験する日が来るなんて。
長い年月をかけた大変な苦労の末に出会えた彼女ですが、すでに有り余るほどの親孝行をしてくれて。
パパとしては少しでも君のライフ(命、人生)の邪魔をしないように、そしていっぱい豊かな時間を共に過ごせるようにと改めて思いますですよ。




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