魂の闇夜の時代の話5
- 二子渉
- 1 日前
- 読了時間: 4分
ひとまず最終回です。
前回までに、魂の闇夜の様子と、そこから抜け出したことのことを書きました。
さて、この体験を経て人生がどう変わったのか、ということを書き記しておこうと思います。
まあ、いっぱいあるのですけれどポイントを絞って今日は1つだけ。
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その一つは、「ことば」というものの捉え方が全く変わったということ。
闇夜の最中は、自分の言葉に全く命が宿っていないのを感じていました。
それでもう、どうやって言葉を紡いだらいいのかもわからないくらいになっていた。
でも、「イマココの自分の体験」こそがリアリティの基盤だという理解が訪れてからは、今ここにいながら言葉を紡ぐということができるようになった。
そして言葉が意識と無意識を構造化しているということがわかった。
話している言葉が自分の意識と無意識をかたどっていて、使っている言葉が自分の見ている世界を反映している。
実際に口で話しているだけでなく、無意識の中での思考も含めてですね。
自分が見ている世界は、自分の意識と無意識の中にある言葉そのものだとわかったのでした。
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日本語では水とお湯は別のものだけれど、英語ならWaterとHot Waterです。
水と、熱い水。
日本語には愛と恋という言葉があるから、愛と恋はどう違うのか、みたいな議論が発生するし、その人なりの理解があったりする。
◯◯しちゃだめだ、と無意識のことばの倉庫に刻まれていたら、世界は◯◯しちゃいけない場所になる。
彼女が嫌なことを言うのは、性格が悪いからだ、と捉えるのと、彼女が嫌なことを言うのは、自分がダメな人間だからだ、と捉えるのと、彼女が嫌なことを言うのは、虫のいどころが悪かったんだな、と捉えるのと、みたいな違いは、その人が無意識のことばの倉庫に、どんなふうに言葉を並べて保管しているのかを反映する。
そういうところから始まって、僕らは本来ひとつで無限であるこの世界を、いったん言葉を使って区切ってから、それぞれなりの方法でつなげている。意識に留めて体験するために。
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この切り取り方と、つなげ方は、親の使っている言葉を真似して覚えていくときに、親と同じものをコピーしてしまうわけです。親とか、文化とか。
でもそこには、さらに前の世代からコピーしてきた、世界についての誤った信念がたくさん含まれているし、親が個人的に持つトラウマ反応の影響もたっぷり入っている。
だから僕らは大人になったら、自分の言葉を取り戻す必要があります。
取り戻すであり、再構築する。
自分の人生を生きるために。
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闇夜が明けたのとほぼ同時期に僕は、とあるメーリングリストに参加して、それから数年間毎日、自分の言葉を取り戻す作業をする機会に恵まれました。
その場所は、ちゃんと今ここにいて自分の内側深くと繋がってことばを紡ぐなら、とても真剣で暖かな反応が返ってくる場でした。
そしてそうじゃなかったら、全無視されるか、ボコボコにされるのがオチでもありました。
とてもわかりやすく、自分が自分の言葉を語れているのかのフィードバックがあった。
今ここにいて自分が自分の言葉を語れているとき、それは、どこかでコピーされた思考じゃなくて、真実の次元と繋がった言葉になる。
その時のその言葉は、個人的でありながら、普遍的な世界と繋がっている。
そういうふうに言葉を使うことができるのだという体験をしました。
僕はただまっすぐに、今ここにいる僕としての言葉を紡げばいい。
そのことを深く理解しました。
このおかげでその後の人生がどれほどスムーズになったことか。
そしてどれほど自分の本質を生きられるようになってきたことか。
本当に計り知れません。
ここまでで一旦、今回の魂の闇夜のシリーズはおしまいです。
そして12日から開催の「言語化講座」の背景にはこういう事情と思いがあるのでした。
あと数席となっていますので、運良く繋がる方は是非きてくれるといいなと思います。



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