この人とはもう無理だなと思うのはいつか その3 親子関係の再創造
- 二子渉
- 9月12日
- 読了時間: 4分
GFL以前、結婚1.0、2.0では、話し合ってもどうにもならなくて、そのストレスが心身の健康を損なうくらいになったら、それはもう関係を手放すサインだ、と捉えるのに対して、
GFL以後、結婚3.0では、自分の中に眠る神性を、一歩一歩取り戻していくのが目的なので、無理だと思ったとしても、それは自分の内面に取り組みきれない、その道がわからないというような意味になってきます。
ここはまだ現代の社会では全く知られていないことも多いので、学ばないとわからない。
でもその鍵となる概念を一つ紹介して、このシリーズを一旦終わろうと思います。
それが「親子関係の再創造」。
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僕ら人間というものは、未完成の状態、不完全な状態で何年も過ごす生き物でもある。
大人にできることで、小さい時にできないことは、けっこうある。胎児期から6歳くらいまではかなりたっぷりある。
多くの哺乳類と違って、危険な場所から自分の足で逃げることなんて1年経ってもおぼつかない。
子どもからすると、親は自分の持っていないパワー(能力も権限も)持っている。
そんなわけで、親子関係のパワーバランスは当然、非対称。
そうするとですね、パワーを持っているはずの親がちゃんと機能していないときには、子どもは絶望的な体験をすることになる。
理想的に機能している親なら、0歳児にはほとんど常に注意を払って安全と快適さを提供できる。でも実際にはそんなふうに機能できるとは限らない。親自身の傷と未成熟が原因で。
理想的に機能している親なら、2歳児が自己主張を始めたなら、その独自性を大事に大事にしながら、現実の安全を確保したりできる。でも実際にはそんなふうに機能できるとは限らない。親自身の傷と未成熟が原因で、頭ごなしに否定的な叱り方をしたり、ニコニコ顔で誤魔化しながら騙したりもする。
そうすると2歳児は、自分の感性に従って主張するのは危険なのだと学習して、そうした主張はやめることにしたり、さらには自分の感情や意思をそもそもないことにすることで、その絶望的なストレス状況から身を守るようになるなんてことが起こるわけ。
小さい時にはこういうことだらけですよね。
今の人類の集合的な意識の成熟度では。
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さてさっきの2歳児の例で言うと、自分には明確な意思があって、それを表明しても親から叱られたり無視されたりするのは、親から愛ではないものを直接受け取ってしまう痛すぎる状態になる。これはほんとうに絶望的。
それだったら、自分の意思なんて初めからないことにして、親の言うことに乗っかって生きているほうが、親の愛の欠如に直接出会う痛みは避けることができる。
◎ここが超重要なところなんだけれど
こうなったらもう、
「そうか、こういう現実を創造すれば傷つかないんだ!」
って、被害を最小にできる現実創造を覚えるわけ。
自分の感性は封印して、誰かが勝手に事を進めてくれる現実を作ればいいんだ!って。
これなら今の自分でも作れるぞ!って。
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大変残念ながら、こんなに意識的に主体的に選択するわけじゃなくて、2歳児のたいへんつたない意識の明晰度でなんとかやりくりするので、大人になってもこれを2歳児並みの意識に戻ってる状態でやりつづける。
そうすると、2歳児と親みたいに距離が近い「パートナー」との間では、必ずこの現実をつくる仕組みが働く。
この「成功体験」を積んだ2歳児が、パートナーとの間でも良かれと思ってせっせと、相手の言うことに従うしかないと思ってしまう現実を作り出す。
嫌だけれど、これはちゃんと最悪を回避できているんだ、ってこの内なる子どもは思っている。同時にこれ以上は望めない、しょうがない、という絶望も抱えている。
これが「親子関係の再創造」。
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なので、こうやってかつて防衛に成功した2歳児なら2歳児を見つけ出し、この役割から解放して、大人の自分が主導権を取り戻すことで、バグっている現実創造のパターンを変えていけるわけ。
パートナーとの関係で(というかあらゆる対人関係で)、嫌な経験をしていたら、必ずこの「親子関係の再創造」が働いている。 必ず。
解除して変容させるところの詳細は書くスペースがないけれど、これをやり続けていけば、本来の愛と創造性に満ちた自分を一歩一歩取り戻していける。
そうしたら、その時そのパートナーとの嫌な経験も解消して、より深い関係を築けている。
逆に、この作業の途中でその関係を手放してしまったら、これまでと同じ檻の中。
僕はそんなのごめんだと思っちゃってるんですよ。
なので、この先「この人とはもう無理だな」って思う日は多分僕には来ない。
僕自身がもっと自分を生きられるようになりたいなら、そこに取り組めばいいだけ。
なかなかこの防衛に成功した子供を特定するのが難しい時もあるし、そういう期間は苦しみは続くこともあるけれど、やり続けたら必ずいいところに辿りつく。
この道がいいなと思う人は、共に励んでまいりましょう。



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