パートナーに理解されたいという願いの行方について
- 二子渉
- 18 分前
- 読了時間: 3分
パートナーにありのままを理解されたい、受け入れてほしい、と願っている人は多いです。
その意味で、けっこう普遍的な願いかもしれない。
でね、今や割と世の中でも言われているのが、
「自分のことを誰よりも理解できるのは自分自身」とか、
「自分が自分の1番の理解者になってあげることが大事」みたいなこと。
これは、まあ、確かにある程度正しい。
じゃあ自分のことを、どこまでありのままに理解していますか?
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僕は40過ぎるくらいまで、「誰も僕のことなんか理解しない」病の重症患者でした。
物心ついた時にはもうすでにそうだった。
たとえば親に理解されていると感じたことは、生まれてこのかた一度もなかった。
それが30歳くらいになってやっと、この世界に良きものをもたらしたい、みたいなところでは理解し繋がれる人がたくさん現れて、
意外とわかってもらえるものだなって感じるようになりました。
すっかり諦めていたところからしたら、
これ以上贅沢言っちゃバチが当たりそうなくらいの変化だったのです。僕にとってはね。
その時代に痛感していたのが、自分のことを自分でわかってあげることの重大さ。
そうかそうか、僕はこれがこころ震えるくらいに大切なんだよね、誰がなんと言おうと、僕にとってはそれがほんとうのことなんだよね、みたいな感じで。
そのように自分で自分のことを理解し受け止められるようになる程、外の世界にも理解者は増えていきました。
もしあなたが、パートナーにちゃんとわかってほしいと願っていたら。
自分で自分の気持ちの、たぶんいくつもあるパーツを机の上に並べて見るような感じで、眺めてみられるようになるのはとても役立ちます。
そうか、わたしのこころの中には、これもあって、これもあるんだなと。
でもまだこれは第一段階に過ぎなかった。
***
僕の場合、その後桂子さんと出会ってから、さらに根本的な変化が訪れました。
僕が可能だと思っていた「理解される」「理解し合う」というのは、まだまだほんとうに限定的なものでしかなかったということ。
というのも、桂子さんは素朴な疑問力をめっちゃ発揮して僕のことをあれこれ尋ねてくるわけなのです。
それは何気ない好奇心からの場合もあれば、彼女からみたら僕が嫌なことを彼女にした、みたいな場面で、どんな気持ちでどうしようとしたのか、知ろうとする場合もあります。
必ずしも心地よいやり取りじゃないことも多い。
そんな時は僕も彼女の気持ちや考え、特に真意なんかを踏み込んで尋ねて知っていくこともよくあるわけです。
***
そうすると自覚していなかった自分の気持ちを、言語化してここに表す作業が発生します。
こうなるとその瞬間、僕は自力で自覚できる分以上に、自分のことをわかってあげることになる。
これ、僕にとっては革命的でした。
こんなふうに自分のことを、もっと深く理解し受け止めることができるのか、とその可能性に気がつきました。
しかも彼女も同時に、その最新の僕を知る。理解し受け止める。
もしあなたが、本当に自分のことを深く理解されたいと願っているなら、こんなふうにパートナーと共同で、自分を発見していく旅に出ることがお勧めです。
自分でも知らなかった自分を含め、深く理解され、受け止められているという感覚、それがこの先も続いていくという、安心感を得られます。
これが結婚3.0です。

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