婚外恋愛(いわゆる不倫)って、こころについて学んだり探求してきた人にとっては、実は結構身近なテーマです。
僕の周囲のこころの専門家、たとえば心理系のセラピストやコーチ、セミナー講師などでは、ほんとうにごくありふれた現象。
みなさん、自分が望んでいるものを自分に与えてあげる、ということに責任を持ってる。
そして誰か他者が抱く感情というのは、その人のものであって、そこには私は責任を持たないようにと、健全な境界線を引くことにも努めてる。
僕も大いに共感します。
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さてそうなると、婚外恋愛はなんら「悪い」ことではないということがわかる。
自分が求めているなら、与えてあげなくては責任を果たしていないことになる。
第三者がとやかくいうのは筋違いで、有名人の不倫のバッシングとか、ほんと気持ち悪くてみていられないという感覚になる。
そういう人は今やたくさんいます。僕の周りでは多数派なくらい。
不倫=倫(みち)から外れている、というなら、愛し合ってるふりをしている夫婦や、自分の望みを押し殺して生きている生き方の方が、よほど道から外れているんじゃないか、っていう人もいて、一理あると思います。
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社会学的な研究でも、イメージとしてはよく登場する「快楽主義(楽しい時間を過ごすこと、自分を甘やかすことが大切な人)」と、婚外恋愛のしやすさには、相関がない、という研究がある。
簡単にいうと、婚外恋愛は楽しさの追求や、自分を甘やかすことの先にあるようなものではない、ってこと。より真剣な愛の探求の先にあるケースが多い。
(楽しさの追求で婚外恋愛をする人がゼロだっていう意味じゃないですよ。念のため。)
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とはいえ、僕は個人的には婚外恋愛はおすすめはしないのです。
その一番の理由は、なんといっても大変だから。
特に幸せな出口を見つけるのが難しい。
僕ら夫婦は、お互いその時の配偶者と別れて結婚できたけど、そうなる婚外恋愛カップルはごく稀だし、その道はものすごくたいへん。
あの大変さをはじめからわかってたら、とても選べなかったくらい大変だった。
それよりもずっといい道があるのが今ならよくわかります。
当時の僕は関係性の魔法を何も知らなかったから、他に選択の余地がなかったんですよね。
今くらいパートナーシップの仕組みについて見えていたなら、そもそも問題の見え方も、取り組む方向性も全然違う。
自分を見つめることも人一倍やっていたけれど、今から思うと全然見落としている領域があった。
当時も僕なりに話し合ったつもりだったけど、表面的で、粘り強さもまったくなかったよね。今から見たら。残念。
わかっていなかったなあ、と今でも胸痛むし、じゃあ対応できていたらその後も二人で幸せに生きていたのかというと、それはわからないですけどね。
でも、GFLを学んで実践していたら婚外恋愛する可能性は限りなく下がるのです。必要がなくなる。
あんな大変な思いしなくても、もっと真っすぐにほしいものに向かって行けるようになるから。
GFL学んでから結婚した人で婚外恋愛した人はいない(たぶん。もしいたらこっそり教えて 笑)。
今まさに婚外恋愛中の人にとっても、幸せな出口を見つける方法がすごくクリアになっていく。
二人で(あるいは当事者みんなで)その出口を見つけ出していけるようになる。
昔だったら自分だけでなく、人の婚外恋愛の話を聞いても、幸せな出口が想像できないことがほとんどだったんですけど。
あの頃知っていたかったなあ、と思います。
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